岩殿山
(いわどのさん)
634メートル
2005年1月08日 晴れ
2001年2月25日 晴れ
_
____________
(高槻橋から見た岩殿山)
(2005年1月08日)
往路(↓)
(ピストン)
-
復路(↑)
13:30
岩殿上バス停
-
14:500
13:55
公園
-
14:10〜30
14:00〜05
岩殿山々頂
-
14:00〜05
今回の歩行ペース(やや健脚)
-
中央道の大月インターから20号線を東に走り、大月駅入り口の先にある「高槻橋入り口」
の信号を左折して橋を渡ると左に公共の駐車場があるのですが、この時は この駐車場が
工事関係者に使われていたので、もう少し登った所にある「岩殿上」
バス停の向かいに
ある駐車場からピストンしました。
_
(駐車場にある案内板、現在地は岩殿山の左にある登り40分、下り30分の所です)
駐車場の左にある階段が登山口です。
(駐車場の登山口)
階段の上から雑木林の中を登って行くと 間もなく
階段が連続するようになります
。
___
(
雑木林の中の登山道
)
_____________
(
連続する階段
)
階段が終わると登山道の傾斜が緩くなって、
登山口から20分登った所に番場跡あります。
__
(
傾斜が緩くなった登山道
)
___________
(
番場跡に立つ道標
)
番場跡の
左に東屋がある公園が見えましたが、先に 右上にある山頂を踏んできました。
(山頂に行く道)
番場跡から5分登った所にある山頂の本丸跡は2基のアンテナに占拠されて、戦国時代の
面影を残すものは何もありませんでした。
_____
(本丸跡の標識)
___________
(山頂に建つパラボラアンテナ)
山頂からは 本丸跡の標識の後ろに権現山・ 百蔵山・ 扇山が見え、落葉した梢の奥に
道志山塊から御正体が見えて、さらに富士山・ 三ツ峠山・ 滝子山・ 白谷丸・ 雁ヶ腹摺山
が見えました。
(一段高くなった烽火台に立つ標識)
山梨百名山の標柱は 山頂ではなく岩殿山のシンボルである鏡岩の上にある公園に
立っていて、標柱の後ろに乃木大将の漢詩が書かれた石碑が建っています。
______
(公園の東屋)
_________
(乃木大将の漢詩が書かれた石碑と標柱)
(赤黒くなった山梨百名山の標柱)
____________
(鏡岩の公園から見た景色)
(中央高速の奥に桂台と倉岳山)
_
(御前山から九鬼山の稜線)
__
(都留市方面と高川山)
山頂よりも こちらの公園の方が広くて眺めが良く、眼下に大月市街が広がっていて
杓子山と高川山の間に大月市秀麗富岳十二景の富士山が見えました。
_
(大月市秀麗富岳十二景の富士山)
_____
(鏡岩の下にある ふれあい館と高槻橋)
山頂の西にある大露頭の破砕撤去跡と楊城戸跡の所から正面の登山道を下りて、ふれあい
館経由で下山することも出来ましたが、車道歩きをしたくなかったので 番場跡に戻って
往路を下りました。
_
(大露頭の台地から見た稚子落し)
____________
(揚城戸跡)
(2001年2月25日)
2001年は大月駅からバスに乗って賑岡浅利まで行って 高ノ丸〜トズラ峠〜稚子落し〜
クサリ場を通って岩殿山に登り、そこから表登山道を下りて高槻橋から大月駅まで
歩きました。
稚子落しの地名の由来は、岩殿山にあった城が織田の大軍に攻められた際に 尾根道を
逃げる途中の巨岩がむき出しになった所で子供を連れて逃げ切れない事を悟った女たちが
崖から子供を谷底に投げ落として逃げ落ちたという史話に基づいています。
_____
(稚子落とし)
_______________
(2001年の山頂)
(金山温泉 山口館)
雁ヶ腹摺山の賑岡側登山口にある一軒宿ですが、温泉は湯量の少ない源泉を沸かして
いるので 利用する場合は電話で確認しなくてはなりません。
※ 詳しいレポは
こちら
です。
______
(金山温泉)
_____________
(リニューアルされた浴室)
(真木温泉)
2001年12月23日に登った笹子雁ヶ腹摺山の下山後に立ち寄り入浴しましたが、画像を
保存しておいたHDDが壊れた時に全ての画像を消失してしまいました。
全室離れの高級旅館で 飲む温泉水「弥生の舞」を販売してますが、旅館の規模に比べると
浴室が狭くて露天風呂も小さいうえに 露天風呂の対岸は崩れた藪で風情がなく 、崖の上に
ある民家から露天風呂が見えそうでした。
_
(
2009年12月に撮影した
真木温泉)
________
(真木温泉で貰ったタオル)
_____
_____
_____
_________________
(
2001年
) (
2005年
)
-
-
-
-
-